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相補・代替医療とは?



皆様は、相補・代替医療というものをご存知です?  
  相補・代替医療とは、その名のとおり、現代医学(西洋医学)と互いに補い合い、時には替わりになるものです。 つまり、民間療法と呼ばれたり、健康法と呼ばれたり、健康食品と呼ばれたり、サプリメントと呼ばれたり、マッサージと呼ばれたり、鍼灸と呼ばれたり、気功と呼ばれたり、波動と呼ばれたりするものの総称です。その他にもヨガや岩盤浴、アーユルヴェーダ、アロマテラピーなど挙げていったらキリがありません。
 ところで、最近は、サプリメントブームなどもあり、気軽に健康食品などを使用されている方も多いと思います。しかし、全てが効果的ならば、話は簡単なのですが、中には粗悪品やインチキな物が堂々と売られていたりします。なぜならば、多くの人々が使用しているにもかかわらず、明確な基準がないのが現状だからです。変な物を買わされないように、充分に注意しましょう。
  また、適正価格を無視した異常に高い価格を付けるのも健康業界の常套手段です。あまりに高価すぎるものには、充分に注意しましょう。
  ところで、普段、健康な方が使われる以上に、ガン患者の方が補完・代替医療を使用されることは非常に多いのです。2005年に発表された厚生労働省研究班の調査によりますと、なんと実にガン患者の44.6%、つまり約半数の方が一種類以上の補完・代替医療を使用しているのです。ガン患者の方が具体的にどのような補完・代替医療を使用しているのかと言いますと、圧倒的に多いのが、健康食品・サプリメント(漢方薬、ビタミンを含む)なのです。これが、全体の96.2%と、2位の気功3.8%、3位の灸3.7%、4位の鍼3.6%を大きく引き離しているのです。
  しかし、現在のところ、医学的にガンに対する効果が証明されている健康食品やサプリメント類はひとつもないのです。ただし、通常のガン治療に健康食品やサプリメントをうまく用いて、結果、ガンが完治した方や完治しなくとも上手にガンと付き合っている方がいらっしゃることもまた事実なのです。これほど多くのガン患者が一縷の望みを託して、ガンの補完・代替医療を使用しているのでしょう。
  ある種類のサプリメントは、通常のガン治療の効果を弱めてしまう危険性が指摘されていたりもします。例を挙げますと、抗酸化サプリメントは放射線治療やある種の抗ガン剤の効果を弱めてしまう可能性があるのです。なぜなら、これらの治療法は、活性酸素を発生させてガン細胞を攻撃させることで効果を上げるのですが、抗酸化サプリメントがこの活性酸素の働きを弱めてしまうことが懸念されているからです。
  また、バイブル本(特定の健康食品について書かれた書籍)で宣伝されている抗ガンサプリメントの体験談や研究データがねつ造されていたという事件は、比較的記憶に新しいことと思います。
それから、医師が推薦しているサプリメントといえども安直に信用するのは危険なのです。以下のような事件も発生しているからです。
  元近畿大学腫瘍免疫等研究所教授でオリエント三鷹クリニック開設者の八木田旭邦氏という人物は、新免疫療法を名乗り健康食品やサプリメントでガンを治すと謳った治療をしていました。しかし、実際には説明通りの効果はなく、これを信じて手術の機会を逸して死亡したとして患者家族から訴えられたのです。そして、刑事事件の詐欺罪としては不起訴となりましたが、民事訴訟においては新免疫療法に効果なしとの判断を下され敗訴し、二家族の原告にそれぞれ5,000万円と200万円の損害賠償の支払いを命じられたのです。
  特にガンに対する補完・代替医療の選択は、常に死の危険と隣り合わせであるという認識を持たないといけないのです。何が言いたいかと言いますと、膨大な補完・代替医療情報の中から、真に役立つ物を見抜くのは非常に難しい上に、それができないと意味がないどころか、かえって逆効果にさえなってしまうということです。
しかし、現在のところ、通常の医師は補完・代替医療の情報をほとんど持っていません。それは、医大で習わないので、ある意味、仕方がないことなのです。
  逆に、補完・代替医療を熱心に勧める医師には、前述の八木田氏のような危険な医師も決して少なくないと私は思っています。
また、ガンに対する補完・代替医療は、ものすごく高価なものが多いのです。健康保険が利きませんので、サプリメント代金だけで月に10万円以上の出費は当たり前、1回の治療で数百万円というものも珍しくありません。誰にも相談できない場合、価格だけ高く効果がないものを選ばされてしまう危険性もあります。できるだけ低コストで、効果がある可能性が高いものを選択したいですね。
ぜひ、充分に注意をされて、真に良い物を選ばれて下さいね。
もし、お聞きになられたいことがございましたら、どうぞご遠慮なくお願いいたします。
 
健康問題アドバイザー
佐野啓明

問い合わせはメールで
mail@daitaiiryou.com



代替医療ドットコム
宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

最終回 予知の易しい地震と難しい地震

 昭和5年に丹那断層が動いて北伊豆地震が発生した。この時東海道本線の丹那トンネルが掘削中で、何日も前から不思議な山鳴りが起っていて、トンネルを掘っている作業員が不安に思っているところに地震が発生したと記録が残っている。これが今起ったら、地震学者は間違いなく地震の前兆であると断言できるだろう。丹那断層は最も活発な断層で、これまで1000年程度の間隔で活動しており、その1090年前(承和8年)にも地震を起している。その断層に、山鳴りが頻発するようであれば、地震の前触れと思うのが自然である。
  平成7年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、後から見れば幾つかの地震の前兆が報告されているが、結局、比較的前兆が少ない地震であったといえる。どの前兆も、それだけで事前に地震の発生を断言するには無理がある。
  淡路島と神戸は広く花崗岩が分布しており、断層周辺の地質が比較的単純であった、それに比較すると、伊豆半島は地質構造が複雑であった。その違いが、前兆の発生状況に影響を与えたと考えられている。
  幾つかの断層は、継続して観測しておれば、現在の技術でも地震の予知は可能であろう。幾つかの断層は、現在の技術では前兆を見逃す可能性がある。ただし、両方の断層に基本的違いがあるのではなく、ほとんどの断層はその中間にある。
  結論は平凡である。危険であると予想されている断層に対して、役立つ可能性があると考えられる手法で、地道に観測を続けていくしかない。初めは失敗が続くが、失敗の中から次の工夫が生まれて、経験を積むに従って、我々は、地震とは、地球とは何であるかを理解するようになる。それが、宇田さんが毎日やっていることである。

 注)兵庫県南部地震でも、電波の異常、地下水の水質の変化、動物の異常行動、空の発光現象などが報告されている。

(地質コンサルタント 吉田堯史)

宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第6回 予測されない地震は予知できない

 宇田さんはさざなみ雲を見つけると、彼の頭の中にある、そろそろ起きてもおかしくない地震のリストとつき合わせて、発生場所を予測する。そのリストが無ければ、起きようとしている地震のイメージが明確にはならない。
 過去の地震の発生履歴や地質の構造、大地の動きなどから、近い将来発生しそうな地震が予測される。例えば、東海地震(M8程度)が今後30年間に発生する確率は86%(地震調査推進本部の評価結果)、まさに予測されている地震である。いまもし、M8に相当する広いさざなみ雲が、駿河湾を東の端にして出現したら、宇田さんは東海地震が近づいていると発信するだろう。
  これまで誰も考えたことの無いような地震、例えば関東平野を震源とするM8級の地震であれば、宇田さんといえども、自信を持って震源を特定することは難しい。兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、確かに一部の学者が危険性を指摘していた。しかし、神戸付近の活断層は、慶長伏見地震(1596)の時にエネルギーを発散してしまったとの考えもあった。これまでの断層の活動(地震の発生)の経緯からは、兵庫県南部地震は予測されていた地震とはいえない。それでは、地震予知のための観測は行われることは無い。

 注)ここで「地震の予測」とは、過去の断層の活動履歴などに基づいて、将来起こりうる地震を推定する意味である。
 注)「地震の予知」とは、何らかの観測により、地震の前兆をとらえ、その発生を前もって知ることである。
 注)神戸では、研究的に井戸の水位の観測が行われていたが、地震の発生の前に終了している。兵庫県南部地震が予測されておれば、観測は地震発生まで継続されたであろう。

(地質コンサルタント 吉田堯史)


宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第5回 さざなみ雲のあらまし
 
 宇宙からみるさざなみ雲は縮れた縞模様である。さざなみといっても、その波と波の間隔は10km程度。それが広い範囲、例えば中国東北部から朝鮮半島、日本海までを覆うようであれば、やがて大きな地震が発生する。現われる範囲が狭いと地震の規模は小さい。
規模の大きな地震は、さざなみ雲が出てから、地震が発生するまでの期間が長い、場合によっては半年も前にさざなみ雲が現われる。規模の小さな地震は、さざなみ雲が出てから短期間で地震が発生する。
  従って、さざなみ雲の出現した面積を測定すれば、経験から、やがて来る地震の時期と規模を予想することができる。
問題は発生する場所。場所は、発生したさざなみ雲の縁の辺りと言うことしか判らない。予想される地震の規模が大きいほど、大きな輪の上の何所かということになって、発生場所は曖昧になる。
  宇田さんは、結局、予想する地震の規模などと、地震を起す変動帯への彼なりの理解を組み合わせて、発生場所を予測している。
宇田さんのさざなみ雲の観察で明らかになった、最も驚くべき点は、大規模な地震は半年も前に準備がととのっていると言うことである。大規模な地震が一朝一夕に準備されるのではない。長い年月をかけてエネルギーを蓄え、準備の最終段階で、さざなみ雲を発生させるのである。その時から地震は始まっていると見ることもできる。

注)さざなみ雲を発生させるメカニズムは、宇田さんも十分には解っていない。彼は波長の一致から、地殻で発生した重力波がさざなみ雲の原因と説明している。日本付近では、偏西風の存在も関係しているであろう。

注)さざなみ雲を発生させるメカニズムは、宇田さんも十分には解っていない。彼は波長の一致から、地殻で発生した長波長の変動が大気中に重力波を発生させることが、さざなみ雲の原因と説明している。日本付近では、偏西風の存在も関係しているであろう。

また参考までに、シンクにドライアイスを満たして、シンク中に置いた金属製のボールを振動させてさざ波雲を発生させた実験も紹介されている。4項参照


(地質コンサルタント 吉田堯史)
さざなみ雲発生の実験
宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第4回  地球が生きている一つの証拠

  地球はシャボン玉のようなものである。形が整えられた固体と思ってはいけない。シャボン玉は石鹸水の表面張力で球形になっている。地球は他の星から遠く離れた空間に浮いているから、地球を作っている物質の引力でやっと型を保っている。もし地球を、地上ぐらいの引力が作用する平たい板の上に置けば、忽ち壊れて平べったくなってしまう。
  そんなふにゃふにゃにやわらかい地球は、内部が不均質のため、何時も動いている。コチコチに固まった地球が、突然動いて地震を起すのではない。生きて呼吸をしている地球が、時にクシャミをするようなものである。地震が日頃の地球の動きとは全く無関係であると考えることのほうに無理がある。
  最近は、「静かな地震」と呼ばれるものが、時々起っていることがはっきりしてきた。通常の地震と同じように断層が動いてずれが生じる。それが急速な動きでないため、人が感じたり、建物を破壊するような地震動は生じない。ゆっくりした揺れが、特殊な地震計で観測できる。
  今は、まだ十分解かっていないが、地球の動きを様々な観点から観察し続ければ、大地がどんな経過を踏んで地震に至るかが解かってくる筈である。宇田さんの観察しているさざなみ雲は、地球の息遣いのようなものである。宇田さんにはその示すものが感じられるから、夢中になることができる。

注)現在ではGPS(全地球測位システム:人工衛星を使って測量を行うシステム)が配置されて、多くの地点が測量されている。その結果で、休み無い地盤の動き、地球の表面を覆う岩盤の動きが把握されている。最近幾つかの地震を発生させた、「新潟−神戸ひずみ集中帯」の動きも、GPSの観測から明らかになった。

(地質コンサルタント 吉田堯史)

宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第3回 今村明恒は東南海地震を予知していたのか
 
 関東大震災を予告した学者として有名である今村明恒は、東海地震が予知できるといわれる根拠となったデータを残している。学者としての成果はその方が重要である。
 先の戦争の最中、昭和19年(1944)、今村は陸軍の陸地測量部に依頼して、静岡県の掛川から御前崎間の水準測量を開始した。地盤の標高を繰り返し、正確に測量したのである。それが開始されて数日後に昭和の東南海地震が発生した。その後、測量結果を整理したら、地震の少なくとも一日ほど前から、地盤が異常な動きをしていた。地震が発生する前に断層がゆっくり、僅かに動くことを、今ではプレスリップと呼んでいる。
昭和の東南海地震では駿河トラフ北東部の断層が動かずに残った。その残った断層が起こすかも知れないと心配されている東海地震でも、同じようなプラスリップが起こると考えられており、そのために、東海地震は予知できるとされている。
 それにしても、多くの疑問がある。
 何故、あの時測量を始めたのか。何故、掛川と御前崎の間であったのか。何故、水準測量だったのか。
 今村は大変な記憶力の持ち主で、過去の地震に関する古文書に精通していた。したがって駿河から紀伊・熊野、四国の南部を襲う大地震の再来間隔に彼なりの考えを持っていたであろう。それにしても、安政の東海地震(1854)から昭和19年は90年しか経っていない。それまでに東海地方を襲った大地震の再来間隔は150年から200年である。安政の地震から90年しか経っていない時に何故慌てて測量を開始したのか。
 今村は、後に自分でも言っているように、地震予知を生涯の仕事と考えていた。掛川から御前崎にかけて水準測量を行えば地震が予知できると考えたのか。
プレートテクトニクスと言う理論が確立して、大地震が発生するメカニズムが合理的に説明されたのは、戦後もしばらく経ってから(1970年前後)である。その知識でもって考えれば、そして、地震の前にプレスリップが起こるとすれば、まさに御前崎で水準測量を行うことは適切である。
 それにしても、大きな戦争の最中に、陸軍の貴重な測量技師を貼り付けて、毎日測量を続けたのである。どれだけ続ける心算であったのだろうか。数十年後に地震が起こると考えているのなら、数ヶ月か一年に一度も測量すれば十分であったろう。よほど逼迫していたのか。
 今村は、他に何か理由があって、地震が近づいていることを感じていたのかも知れない。
 
 注)現在は宇佐美龍夫の「日本被害地震総覧」という名著があって、誰でも簡便にこれまでに発生した地震の詳細を知ることができる。以前は「大日本地震資料」に古文書の地震に関する記事が羅列されていたのみであるが、今村はその殆どを諳んじていたという。
 注)慶長9年に、揺れは小さいのに、関東から西の各地に、広く津波が到来した地震(1605)があって、南海地震と東南海地震が同時に発生したと、現在では考えられている。この地震は、明応の東海地震(1498)の107年後、宝永地震(1707)の102年前である。これを除けば、安政の地震と昭和の地震の間の90年は、飛びぬけて短い。
 注)今村は早くから、「地震の前には必ず顕著な地塊の傾動を伴うと信じていた」と、萩原尊禮は書いている。
(地質コンサルタント 吉田堯史)

宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第2回  さざなみ雲で地震が予知できるか ?

  宇田さんはさざなみ雲を見て、何時頃、どのあたりに、これくらいの規模の地震が起りそうだと、自分のホームページから発信している。だから、「地震の予知」を目指していると言える。ひょっとしたら、本人もそう思っている。
  雲を観測して地震を予知する。そうは言っても、宇田さんは、毎日空を見上げているのではない。インターネットで公表されている人工衛星の画像で、日本の周辺に、特徴のあるさざなみ雲がでていないかをチェックしている。そうやって、地球をみつめている。
  さざなみ雲さえ見ておれば地震の予知には十分、ということにはならない。それには優れた点も、判断が難しいこともある。地震の予知に繋がるものはいくつもある。微小地震の観測結果、GPSで観測されている詳細な地盤の動き、地下水位の変動、空中電磁波や地電流などなど、本来ならそれらを総合的に検討すべきであろう。多くの研究者の共同作業が必要である。たぶん、それは彼の関心事ではない。
  毎日地球を眺め、地震の前兆となる雲を見つけようとしている。さざなみ雲が地震の前兆になりうるなら、地震を生む大地の動きを見ていることに他ならない。さざなみ雲は地球を観測する彼なりの手法で、それをやがて来る地震に結びつけるのは、観測結果の整理と関連分野の研究者達との情報交換の一つの形式である。
  宇田さんは、地震の予知と見える情報を発信している。でもそれが、中国の海城地震のような予知の成功に結びつくには、整えられなければならない幾つもの条件がある。
(地質コンサルタント 吉田堯史)

次回に続く


宇田進一の見つめるさざなみ雲の周辺

−地震予知をめぐって−

第1回 中国の成功と失敗

  大きな地震が起る時、何日も前から前兆があって、それで地震は予知できるものであるか。「地震の予知は不可能である。」とは誰も言えない。なぜなら、大地震が見事に予知された例があるから。実際に行われたことを「不可能」とはいえない。ただしそれは容易なことではない。
  1975年2月、中国は海城(ハイチョン)地震の予知に見事に成功した。井戸の水位の変化や動物の異常な行動が観察され、地震が近付いて居ると考えられた。政府から調査団が派遣されて観測がはじまり、微小地震が急に増えてきたため、海城市の住民に避難命令が出された。夜、住民を自宅に帰さないため、映画が上映され、その2本目を上映している時に地震が発生した。少なくとも、地震の前から何かが起こっていた。住民の情報を集めて検討し、調査団を組織して派遣し、微小地震の観測が行われるだけの時間の余裕があった。後は、起こっていることが大地震の前兆であると判断できるかどうか。それ以上の問題は、全ての地震がこのようにして起こるのか、それとも、この地震は特別な例外だったのか。
  その明くる年の7月、今度は唐山(タンシャン)地震の「予知」に失敗した。調査団が派遣され微小地震の観測が開始されたところまでは海城地震と同じ、ただし避難命令が出される前に地震が発生した。その時、調査団がどんな判断をしていたのかはわからない。全員が地震で死んだ。唐山地震の死者は25万人と発表されている。

注)1966年の邢台(シンタイ)地震の時、多くの前兆現象が住民に観察されていたことをきっかけにして、中国は地震予知に取り組むようになった。海城地震は、その後に起こった最初の大地震であった。
ギリシャでは地電流を測定するVAN法で地震予知に成功した例がある。

(地質コンサルタント 吉田堯史)