弓のサンディエゴ通信

3月のお雛様祭り

私の両親

皆さん、こんにちは~!

今日のラメサは上天気の青空で、気温は 17°C  度で、ちょっと朝は寒い!

私の孫夫婦とひい孫が元気にシアトルに帰宅しました。

さて、日本の大昔を思い出すのも、3月の日本は”お雛祭り”!

荻窪時代に、母は四人娘のためにと必ずお姫様とお殿様がてっぺんにいらっしゃる何段ものひな祭り’を、客間に飾ってくれました。

赤の毛氈に、てっぺんにはお姫様とお殿様が座り、下段に家来や楽団が並んで、学校から帰宅の四人の娘は大喜び!

私はこの飾りを見たくて、寄り道もしないでまっすぐ帰宅したっけな~。

妹たちも、大喜び!おやつも忘れてトップのお姫様やお殿様、5人囃子などがいる座敷にすっ飛んでいく。

「ネ!めいめいのお顔が可愛いでしょう?」ママは嬉しそうな笑顔。このお眼目ぱっちりのお雛様たちはママが探し回って、やっと見つけたものでした。今もクリクリした大きなオメ目のお雛様たちを思い出して、亡き母に感謝してます。

ママは、当時有名な人形作りでいらした先生のところで、お人形作りを習っていました。肝心の先生のお名前を忘れてしまった!

先生は、当時ママが読んでいた「ソレイユ」という雑誌に挿絵を描いていらした方です。それでママはお弟子さんになったのかしら?すでに天に召されたママに聞けないのが残念です。

私は慶大を卒業後、米国やオランダで画家になり、人物画を依頼されると、まずモデルの性質や好みをたずねます。お子さんの肖像画だと、おしゃべりしながらお子さんの性質を描きました。

父母は、私の本業である画家の仕事を、良く理解してくださった。

大学を卒業後に米国やオランダ住まいになったのも、すべて長女の希望であって、画家として生きることができて、改めて両親の深い理解に感謝しております。

母の死後も父は毎年サンヂエゴに来訪し、お付き合いしていたウェスリーに好感を持ってくださったことが、何よりもうれしかったです。

ただ残念なのは、亡くなった母が同じ画家であるウェスリーに会っていないことです。

残された父は亡くなった母にかわって、アメリカの長女の家に来訪してくれました。

ある朝「弓ちゃん、お礼状を出したいから、この手紙を英語に変えてくださいね」

びっくりしたら、「玄関の外に花束と一緒に、カードとビールの箱が置いてあったのですよ」と父。(あちゃ~!わたくしの彼氏のウェスリーだ!)

別に隠してたのではありません、

彼とデートしたばかりの私はウェスリーの人格をもっと知ろうとした頃だったからです。(過去の失敗が多いと、そういう事になる!)

父滞在中に、ラメサ市美術協会から、絵画講演の依頼があって、父と一緒に出掛けたら、ウェスリーも出席してました。それで、絵の講談が終わった後に、父に’ビールの送り主’であるウェスリーを紹介しました。

「なかなか礼儀正しい良い男性ですね」と父は帰途の車運転中の私にウェスリーの印象をのべました。(あ~よかった~)

オランダから帰米して、私が個展を開いた”ギャラリー21に現れたのが、そもそもウェスリーとの出会いでした。

そのうち発見したことは、ウェスリーの両親と私の父母がよく似ているのです。たとえ子供たちが大人になっても子煩悩で、家族を大切にする両親です。ウェスリーの両親は、お元気で、昨年もユタ州から我が家に来訪してくださいました。

今は天に召された私の両親ですが、父がウェスリーと会ってくださって良かったな~、と今、しみじみ思います。

そしてウェスリーの両親がまだまだお元気で、いつでも会えることは幸いです。

今晩は、お雛様の思い出と共に天に召された私の父母を思いながら夜の空を見上げて、両親に感謝と愛を送ります。

https://www.youtube.com/watch?v=j2fbOAyNOpM

皆さん、どうぞお元気でいらしてくださいね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)