ジャーナル

「HAPPY 4TH OF JULY!」

7月4日は米国の独立記念日です。
https://www.washingtonpost.com/politics/2024/06/24/trump-election-extremism-threats-violence/
Washington Post 6/25 2024


ロサンジェルス州のゴーマン市で、火事が起こり、12000エイカー以上が燃えた。
NBCLA(ロサンジェルスのNBC局)

猛暑の米国東海岸 6月18日
https://www.washingtonpost.com/weather/2024/06/18/heat-wave-temperatures-east-coast-updates/

さて、我が家は相変わらず屋内生活をしてます。
毎朝バルコニーから広い道路をみると、通勤の人々の車がにぎやかに、すっ飛んでゆく。

お寝坊した人は、スグわかります。。。車ごとオロオロとすっ飛んでるから。

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

私は野外画家だったので、海や山にでかけた頃を思い出して、懐かしい!
まだ子供3人を育てていた頃です。上の二人は女の子で、末っ子は男の子。
子供たちが学校に出かけてから、私はシャワーあびて、外出の準備をする。
外出時間は、通勤者のじゃまにならないように、遅い時間に野外画家の私は出勤! ( ̄∇ ̄;ハッハッハ

幸いにも、サンヂイエゴは山あり、海ありなので、その日によって画題を山にしたり、海岸で描いたりの毎日でした。
そして、描きたての絵を、あちこちの美術展や野外展に出品してました。

天候に恵まれたサンヂイエゴなので、一年中訪問者が多く、画家の私は、大変恵まれた環境のおかげで、野外や個展での絵はどんどん出てゆき、

誠に幸運でした。
バルボア公園内にあるスパニッシュビレッジでは、毎夏ギャラリー21で個展を開きました。
天候の良いサンヂイエゴのおかげで、画家として3人の子供を育て、その上、お天気の良いサンヂイエゴに住んで良かったな~!

と思います。
この記事を書きながら、今も子育ての頃を懐かしく思い出し、野外制作しても、子供たちが帰宅する頃には、自宅に帰ってたから。

絵描きになって良かったな~、としみじみ思います。

皆さん、人生に何が起ころうとも、まず健康第一にして、明るい気持ちをもって生活しましょうね!

7月4日は、米国の独立記念日です。

米国一般人民は相変わらず明るく、親切で、元気です。

皆さん、どうぞお元気で、一緒に良い日をつくってゆきましょうね!

トランプは罪人であると発表

トランプの関係者への黙認もふくまれている。トランプはすべての項目で、罪人であると発表。これは誠に歴史的な決定である。

これでトランプが犯罪人であること、そして関係者の黙認もふくまれており、トランプが犯罪人であることが、明瞭になった。

これは歴史的な前大統領トランプに対する結果である。正式にトランプへの調査は正式に終了し、これから犯罪人のトランプへの始末をする計画

をする予定。

以上が今日のトランプ元大統領のトップニュースで、どこの新聞も、NY TimesやWashington Times はもちろんのこと、ローカルの新聞も大ニュースとして発表しています。

どうぞお元気でね!

野外アート時代とアメリカの父 ジョン フーパー氏

ジョン・フーバー氏と父 フーバー氏のアトリエで

ジョン・フーパー氏は、シカゴ生まれの画家、マリーと結婚後にカルフォーニア州サンヂエゴに移転。

ラホヤ美術協会を開いてその会長になる。現在あるバルボア公園のスパニッシュ村を創立したのもフーパー氏です。

私は、4年間住んだオランダからサンヂエゴに帰米すると、早速ラホヤ美術協会に再入会して会員になり、アチコチの野外美術展にも参加しました。

オランダから再び米国に帰った私は、アメリカの父でもあるジョンフーパー氏が会長のラホヤ美術協会にも再入会しました。

会長のフーパー氏は、一人っ子なので、弟ができた!と言って、サンヂエゴに父が来訪するたびに、僕の弟と言って、大切にしてくださった。

一方、私の父は男兄弟ばかりの末っ子に生まれており、すでに兄をみな亡くしたので、ジョンフーパー氏を実の兄のように慕ってました。

兄貴になったジョンと兄弟のようになって、毎年アメリカに来訪する父は、ジョンとの再会を楽しみにしてました。

しかし今は、ジョンも私の父も、天国に召されてしまいました。でも天国で、相変わらず兄弟の会話は続いていることでしょう。

ジョンフーパー氏がご高齢で亡くなると、私はラホヤ美術協会長に選ばれて、その頃すでに、ラホヤ美術協会の会員数はすっと増えていました。

同じ頃に、日本から個展のお話があり、荻窪の画廊で個展を開くことになりました。

今、振り返ると若いってことは、すごい!ラホヤ協会長にえらばれて、大多忙だったのに、東京個展の依頼にハイ!と、引き受けてしまったのです。

おかげさまで荻窪の弓個展は大成功になったのも、妹3人と、成蹊の親友の森ちゃんもお手伝いに毎日来てくれたからです。

杉並新聞で弓個展のお知らせや、荻窪中にポスターが貼られて、光塩女子学院初等科時代のクラスメイトや、成蹊や慶応大学時代のクラスメイトの学友も個展にいらしてくださいました。ポスターや新聞であちこちに宣伝されたおかげ様で、3人の妹や、成蹊時代の親友の森ちゃんも毎日お手伝いしてくれ.個展は大成功で終わりました。

一方ラッキーだったのは、その頃ウェスリーと友人になり、ウェスは私の代わりに、サンヂエゴ美術協会から、私に依頼された講義まで引き受けてくれました。私が東京の個展から帰宅したら、美術協会の方々から、ウェスリーの講談が大成功でしたよ!の報告がありました。

「女性方はハンサムな画家が来て、大喜びでした!」の報告もあり、私はホット安堵しました。

人生、いろいろ、と人は言うけれど、確かに私たちの人生には、予想外のことが起こります。

しかし”失敗は成功の基”という言葉もあります。あまり心配すると、良い結果は生まれません。今過去を振り返ってみると、荻窪の画廊で個展をして良かったな~、と思います。

大昔に流行った「ケセラセラ~」の歌ではないけれど、一生懸命にとりくむと、良い結果が生まれるのですね!明るく、プラス電気満々の心でチャレンジすれば。。。結果は大成功!荻窪での個展も然りでした!

それで、思ったのですよ!もし良いお仕事がはいってきたら、私の場合は東京個展の依頼でしたが、一生懸命に、その準備に取っ組めば、おのずとその結果は、成功することを学びました。

初等科の光塩女子学院、成蹊中学と高校や慶応大学のクラスメイトが、お手伝いや、個展後には歓迎会まで開いてくださった。

今、改めて、皆さんの友情に深く感謝いたします。

明るい気持ちで、喜んで人生にチャレンジすれば、よい結果になる!これも我が人生で学びました。余計な心配や、マイナス思考はダメ~!( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

「よ~し、やってみよう!」と明るい気持ちを以って、時には人生にチャレンジしてみましょう!

いま我が人生を振り返ると、失敗もあり、成功もあったな~。しかし平均すると、良い人生をおくることができて、大感謝です。

”失敗は成功の基”、というけれど、だから年を取るのもバカにできないどころか、私は長生きして嬉しい限りです!

私はこれからも笑顔で元気に年をとり、楽しい人生を自分で作っていこうと思います。

人間の人生って、短いな~とも、しみじみ思います。皆さんもそう思いませんか?

おっちょこちょいの私は、相変わらずヘマをしてますが、”失敗は成功の基”とも言います。

己の失敗から、学ぶことも沢山あるのですね!

我が人生の結果は死ななきゃ、結果は分かりません。

私のケースは、もしかしたらプラスアルファ―ゼロ? それともヨイ子だったったらご褒美をいただけるのかしら?

いや~、むりでしょうね~!ハハハ。

天の神様、もうちょい長生きさせてくださいませ。ちゃんとヨイ子になりますから。

目下のわが人生は、楽しい。

「ぼか~~、しあわせだな~」大昔有名な男性俳優さんが、言ったように。。。ウ~ン?名前わすれちゃったな~。

彼も確か慶応生でした。お母様は、女優の小櫻さんで、岩原のスキー場にもよくいらしてました。

私はこれからの我が人生に、とても興味深々ですよ!

さて、神様は、私の願いを、チャ~ンと聞いてくださるかな?

「う~ん、どうしようかね~?」

と、神様は周りの天使方と相談してる様子。(あらま!)

そのうちやっと神様曰く、「まだ勉強しなきゃ―いけませんね~。まだこっちに来ないで下さいよ!」だと!

ひや~~!神様は、なんでもご存じなんだ~、と感謝しながら、もっと生きたい弓はホッと安堵する!

天の神様ですからね、お相手は!

この記事を完成したら、バルコニーに出て、私は天の神様に大声で、

「良い人生をいただき、ありがとうございま~す!」と叫びま~す!

オランダ時代 弓の両親来訪

Little Dutch Girl     oil    8″ x 10″

皆さん、おはようございま~す!

まず妹の京子より3月の記事で、姉が思い出せなかった母の絵の先生の名前は,竹久夢二氏です、とさっそくメールで知らせてくれて、妹の京子に大感謝!

さて、今日のカルフォーニア州のトップニュースです。

暴風雨と雪のカルフォーニアになって、加州の住民は大わらわ!

https://www.youtube.com/watch?v=mg4UWqsTleM

幸いにも自宅のラメサ市は, 今日も青空天気で、今朝の気温は 69°Fです。

しかし、最近は翌日にどんなお天気になるか、わかりません。

未だにコロナ禍の影響かしら?今日は近所のVONSにウェスリーが出かけて、ま~!盛り沢山の食料を買ってきて、びっくり仰天!

家どまりだから、我が家は食べ物が一層楽しみで、生きがいになっちゃった!ハハハ!

ダイエットなんて、とんでもない!まったくね~、食べ物が一番の楽しみになったとは!

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

さて、4月便りは”花のお話”です。私と息子はオランダのアントーベン市に4年間住んでました。

オランダ人は厳しく長い冬から春になると、大喜び!

近所の花市場で花束をたくさん買って自宅を飾るのも、オランダ人が‘花を愛す国民’だからです。厳冬の国だから、明るい花の室内にしたいのでしょう。

今は亡くなった私の父母も花が大好きでした。父はリタイヤ―すると、さっそくお花の草月流の先生について、生け花を習い、当地ラメサ市の私の自宅に来訪するたびに、翌日、近くのお花屋さんに行き、たくさんの花束を買ってきて、学んだ草月流の生け花をしてくださいました。来訪すると3~4週間、我が家に滞在してくださいました。おかげで父が来訪すると、翌朝は家中が’花の匂い’になりました。

元気だった母が亡くなった後も、父はアメリカ住まいの長女の私の家に来訪してくださった。

今、振り返ると、両親は、誠に優しく時に厳しく、4人の娘を育ててくださいました。

4人姉妹の私達には、最高の両親でした。

ママが元気でいた頃、オランダにも父母は来訪してくださったっけ。

私と息子が住んでた、オランダのアントーベン市に両親が来訪して、一緒にパリにも行き、楽しかったな~!

父母との思い出を振り返ると、長女が移転するたびに、何度もオランダや、米国にいらしてくださった。

ありがたいことでした、と今、改めて両親の子供たちへの深い愛を知るのです。

今は、両親は天に召されてしまったけど、なんとラッキーな4人姉妹だったか。。。と今、父母への感謝に堪えません。

そして、残った4人娘は、これからも仲良く、楽しく、明るい生活を、父母のように過ごしてゆきたい、と私は願っております。そして、今は大人になった私の子供たち、そして孫やひい孫たちにも、仲の良い親子の歴史を続行してもらいたい、と願っております。なぜなら ”家族の強い絆こそが、私達の人生の、誠の幸せ” だからです。

皆さん、どんな気候になろうとも、どうぞお元気で明るい生活を続行いたしましょうね!

そしてよく食べ、良くお休みをとって、お元気でいらしてください!

3月のお雛様祭り

私の両親

皆さん、こんにちは~!

今日のラメサは上天気の青空で、気温は 17°C  度で、ちょっと朝は寒い!

私の孫夫婦とひい孫が元気にシアトルに帰宅しました。

さて、日本の大昔を思い出すのも、3月の日本は”お雛祭り”!

荻窪時代に、母は四人娘のためにと必ずお姫様とお殿様がてっぺんにいらっしゃる何段ものひな祭り’を、客間に飾ってくれました。

赤の毛氈に、てっぺんにはお姫様とお殿様が座り、下段に家来や楽団が並んで、学校から帰宅の四人の娘は大喜び!

私はこの飾りを見たくて、寄り道もしないでまっすぐ帰宅したっけな~。

妹たちも、大喜び!おやつも忘れてトップのお姫様やお殿様、5人囃子などがいる座敷にすっ飛んでいく。

「ネ!めいめいのお顔が可愛いでしょう?」ママは嬉しそうな笑顔。このお眼目ぱっちりのお雛様たちはママが探し回って、やっと見つけたものでした。今もクリクリした大きなオメ目のお雛様たちを思い出して、亡き母に感謝してます。

ママは、当時有名な人形作りでいらした先生のところで、お人形作りを習っていました。肝心の先生のお名前を忘れてしまった!

先生は、当時ママが読んでいた「ソレイユ」という雑誌に挿絵を描いていらした方です。それでママはお弟子さんになったのかしら?すでに天に召されたママに聞けないのが残念です。

私は慶大を卒業後、米国やオランダで画家になり、人物画を依頼されると、まずモデルの性質や好みをたずねます。お子さんの肖像画だと、おしゃべりしながらお子さんの性質を描きました。

父母は、私の本業である画家の仕事を、良く理解してくださった。

大学を卒業後に米国やオランダ住まいになったのも、すべて長女の希望であって、画家として生きることができて、改めて両親の深い理解に感謝しております。

母の死後も父は毎年サンヂエゴに来訪し、お付き合いしていたウェスリーに好感を持ってくださったことが、何よりもうれしかったです。

ただ残念なのは、亡くなった母が同じ画家であるウェスリーに会っていないことです。

残された父は亡くなった母にかわって、アメリカの長女の家に来訪してくれました。

ある朝「弓ちゃん、お礼状を出したいから、この手紙を英語に変えてくださいね」

びっくりしたら、「玄関の外に花束と一緒に、カードとビールの箱が置いてあったのですよ」と父。(あちゃ~!わたくしの彼氏のウェスリーだ!)

別に隠してたのではありません、

彼とデートしたばかりの私はウェスリーの人格をもっと知ろうとした頃だったからです。(過去の失敗が多いと、そういう事になる!)

父滞在中に、ラメサ市美術協会から、絵画講演の依頼があって、父と一緒に出掛けたら、ウェスリーも出席してました。それで、絵の講談が終わった後に、父に’ビールの送り主’であるウェスリーを紹介しました。

「なかなか礼儀正しい良い男性ですね」と父は帰途の車運転中の私にウェスリーの印象をのべました。(あ~よかった~)

オランダから帰米して、私が個展を開いた”ギャラリー21に現れたのが、そもそもウェスリーとの出会いでした。

そのうち発見したことは、ウェスリーの両親と私の父母がよく似ているのです。たとえ子供たちが大人になっても子煩悩で、家族を大切にする両親です。ウェスリーの両親は、お元気で、昨年もユタ州から我が家に来訪してくださいました。

今は天に召された私の両親ですが、父がウェスリーと会ってくださって良かったな~、と今、しみじみ思います。

そしてウェスリーの両親がまだまだお元気で、いつでも会えることは幸いです。

今晩は、お雛様の思い出と共に天に召された私の父母を思いながら夜の空を見上げて、両親に感謝と愛を送ります。

https://www.youtube.com/watch?v=j2fbOAyNOpM

皆さん、どうぞお元気でいらしてくださいね!

2月のサンディエゴ

“Old Town Tortilla Shop”    oil   11″ x 14″ (サンヂエゴのオールドタウンにある)

皆さん、こんにちは~!

皆さん こんなちは!今日のラメサは上天気の青空で、気温は68度です。

やはりまだ冬で、朝は寒い!

さて、昨晩グレンミラー氏のムーンライトセレネードを、YOUTUBEで再び聴きながら涙がでてしまった。

日本の若い生徒さん方による素晴らしい演奏で、天国のグレンミラー氏は、きっと大喜びなさってることでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=d0xRQb_K1hE

さて今日は私が長年住んでいるラメサ市の紹介です。

https://www.youtube.com/watch?v=MQRgpqXnogU

ナットキングコール氏は亡くなった母が大好きな歌手でした。

大昔に彼が来日したときに、あれは三越だったかしら?母と靴売り場で買い物をしていたら、すぐそばに、ナットキングコール氏がいらした!

母と目があって、ハローと彼は笑顔で挨拶して、ママは彼に「あなたの歌が大好きですよ!」と伝えて大喜びしてたっけ。

ところで2月中旬にシアトルから私の孫夫婦が息子のタケオをつれて、サンデイエゴに来訪します。

ひい孫タケオは、私の父の名前と同じで、おなじくシアトルに住む我が息子のアーニーのミドルネームもタケオです。

私の両親は、きっと天から笑顔で二人のタケオや私達家族を、これからも見守ってくださることでしょう。

大昔に4人姉妹をいつくしみ育ててくださった父母に、今あらためて感謝しております。

こうして仲良し家族の集いの歴史は続いて、我が家のピエロと私は幸せいっぱいで、シアトルの孫夫婦とひい孫タケオの訪問を待ってます。

外をみたら、青空で晴れてるけど、寒~い!

やはりサンヂエゴも冬の気候です。

今日は私が大好きなサンヂイエゴの良い場所を紹介しました。

みなさん、外出から帰宅したら、塩水でよくウガイして、どうぞ風邪をひかないようにしてくださいね!

くれぐれもお元気でいらしてください!

モーツアルトが誕生したサルツバーグ

皆さま、新年明けましておめでとうございます!

米国は一日おくれで新年です。

まず米国ニュースをお伝えします。
米国の経済情勢が上層している (2023年12月26日付ワシントンポスト他)
クリスマスとお正月にむけて、アメリカ市民のホリデーの買い物による経済情勢が上層している。
プラス電気の明るい音楽や歌がアメリカの朝に流れて、民衆の心は誠に明るい。

中国民衆は、海外に彼らのお金を送って、中国経済が下火であることをを示しており、未来の中国政府の危機感をよぶ。
(12月29日付 ニューヨークタイイムス)

さて、一月便りは、昔オランダに住んでいた頃に、息子アーニーといったお隣の国、オーストリアの旅のお話です。

https://www.youtube.com/watch?v=7KZfez2dvm8


車でアントーベン市から50分余りで行けるオーストリアのお城と、町の様子を知りたかったのも、近所の友人が米国に帰国する前に「是非モーツアルトが誕生した町を訪問するように」と言われたからです。
行ってよかった~!
小さな町の中心にお城が建っており、中に入った途端にヒンヤリした空気で、その冷たい空気が心地よい!
そしてお城をゆっくり見物した帰りに、静かな町なかを見物していたら、あるお店に入った途端に、長い間パリやオランダのお店で探していたけど、なかった渋い赤色皮の宝石箱があった!私は昔ママがくださったパールの首飾りのほかは、殆ど本物の宝石を持っていません。それよりも思い出深いお土産として買ったセールで仕入れた腕輪や指輪などが大好き!
町に出て、お店にはいったら、まるで持ち主を待っていたように、渋い赤の皮の2段箱がお店にあったのです!値段見たら、本革なのに安くて、もちろん飛びついて買いました!買ってよかったな~、相変わらず丈夫で上品な渋い赤!ということで、以来ずっと大切にしています。時々布巾で拭いてるけれど、、あのオーストリア訪問のおかげさまです。

https://www.youtube.com/watch?v=j9PQ1y7lN78

オランダ時代には、パリにも数回、車でいったけど、今はピエロといっしょに静かな生活をすごしてます。
しみじみ若い頃の旅で、イギリス、フランス、オランダなどで絵描きとしてすごし、再び米国に帰って、シニアの教室で先生になりながら、毎年個展も開くことができて、誠に良い人生を送れたと、その幸運に感謝してます。

皆さん、これからも一緒に良い人生を作ってゆきましょうね!
日本はすでにお正月ですね。
米国は、一日遅れの明日が元旦です。

2024年の新年が、世界に平和と健康に満ちた年になりますように!

日本のみなさま、どうぞお元気で、おいしいお正月料理を満喫なさってくださいね!

昭和時代のクリスマス

内山雨海先生のクラスで描いた弓の絵 (父がサンデイエゴに持参してくれました)

長女の私と次女ノコは小さい頃、高円寺の祖父母の屋敷の離れに父母といっしょに住んでました。それで歩いてすぐの光塩女子学院に入学して私はカトリックの光塩女子学院に初めて設施された初等科第一期生になる。

以前から中学や高校はあり、はじめの頃、小学生は14~5人しかいなかった。中学や高校の上級生方は大変やさしく、小さな私達を可愛がってくださいました。

校長と副校長様もスペイン出身のマドレで、英語の先生はアメリカ生まれのマドレ。

日本人のマドレも一人いらした。カソリックの洗礼を受けたのもその頃でした。

初孫のわたくしを祖父のじいじは、よくお散歩に肩車してつれてってくれ、そのあと応接間にあるビクターの蓄音機をかけて、ハワイアンを聞いたり、ときに活動写真機で、バスターキートンの白黒の動画を見せてくれました。キートンが滝のある岩から岩へ歩いてゆく姿が面白くて、何度見ても笑いころげてしまったっけ。

クリスマスには親戚一同があつまって、恒例クリスマスパーチイーをするのもじいじとばあばの応接間でした。

祖父母宅のクリスマスパーチィーには一つ条件付き。。。何か余興を持ってくること!

息子4人の若い男性がいる小野家がいつも一位になった。彼らの歌がまるでプロみたいに、ハーモナイズされて全員一致で勝利に輝いた!

宮道家族は父が女性に着飾り、母は男性姿になって、鼻の下に髭をつけて、レコード音楽に合わせて踊り、まだ子供の妹と私はタンバリンをたたいて、宮道家族は’努力賞’に輝いた!

じいじの家は広くて門を入ると二つ玄関があり、大きな開きドアーはお客様用、奥のドアーは住人用でした。玄関の脇に池があり、内庭には大きな池があって、鯉が泳いでました。玄関口と奥庭の池はつながってたのかしら?同じ鯉が両方の池に泳いでました。

広い奥の庭に、二宮金次郎の石像がこんもりした築山の道にありました。

ある日、両親が外出して、母屋でじいじと一緒に昼食をいただいてた。

「ごちそうさま~!庭で遊ぼ~っと!」と言って立ち上がったら、「ちょっと待ちなさい、まだ終わってないでしょ?」とじいじ。

お茶碗をみたら、まだ数粒のご飯がくっついてた。

「お百姓さんはね、弓ちゃんがまだ寝てるうちに起きて、お米を育ててくださってる。そのお米を残したら罰があたるでしょう?」

といつもになく厳しい声。まだ4歳の子供の私はとても恥ずかしくなって、残ったご飯粒を大慌てで一粒ずつ、つまんで口に入れました。そのような私をじいじはジ~っと見つめてから、やさしい笑顔で大きくうなずき「サ~、いっしょにお散歩に行こういかい?」

あの日大好きなじいじから初めて叱られたけど、それ以来ご飯粒が残ってないかとチェックしてから「ごちさま~!」の癖がつきました。大好きな’じいじ’との良い思い出です。

高円寺の祖父母の家から、そのうち荻窪の2階家に引っ越したのは、私が中学生になったときでした。

父も成蹊高校で学び、私は成蹊中学と高校に通ってから、慶大に入学して文学部美術美術史学を専攻したのも、小さい頃から絵画が好きだったから。(小さい頃コンクリートの道に白墨でお姫様を描いて、近所から苦情が出て、母に叱られたっけ)

成蹊中学と高校では、美術部にはいって絵を描いてる私を、ある日母は水彩画の内山雨海先生の家につれていった。

内山先生は「僕の隣りに座りなさい」と大きなギョロ目で見つめるので、私は震え上がったっけ。

大人の男性ばかり4人の生徒さんがおり、水彩画を描くわたくしの絵を先生はその大きな目でにらむ。

しかし内山先生は私に筆使いと、流れるようなリズム感ある画法をおしえてくださった。この画法は時に油絵やアクリルにもつかって、米国で絵の先生になったときに、生徒さん方にも学んだ画法をおしえることができました。

厳しい先生でしたが、今改めて内山先生と、良い先生をみつけてくださった母に感謝します。

内山雨海(うちやま うかい)ウィキぺデイア

昭和の書家、水墨画家。東京生。浦上玉堂に私淑。大正二年、棟方志功、小泉繁両人と三人展を開催。その後、下村為山に見出され、以後墨画の指導を受ける。書画一致を主張し、墨絵創作。ドイツのレンベルツ美術館で個展を開催するなど各地で個展を開いた。レンベルツ芸術賞受賞。毎日書道展審査員。東京美術院院長。

上記の写真:内山先生時代に、私が描いた水墨画。(父がサンデイエゴに来訪したときに持参してくださった)

私がアメリカ在住になると、両親は毎年来訪してくれました。しかし、子煩悩な母が亡くなり、残された父はその後も毎年アメリカに来訪して、ある年は、私が横浜に一人住まいの父に会いに行き、父と一緒に過ごして私の下手な料理に「おいしいねー」と言ってくださった。思わず涙がでてしまいました。

サンデイエゴに帰る日、妹たちと一緒にタクシーから振り返ったら、窓から父がジーっと見つめていらした。

時に厳しく叱り、明るく子煩悩な両親でしたが、ママが亡くなった5年後に父は、母の待つ天国に召されました。明るく愛情深い父母でした。

大昔の昭和時代のクリスマス。。。これからもクリスマスを迎えるたびに思い出して、天の祖父母や両親を懐かしむことでしょう。

皆さん、どうぞ実りあるクリスマスをおすごしください!

ピエロの両親が来訪

皆さん、こんにちは~!

まず今日の米国のトップニュースです。

ルイジアナ州出身のマイクジョンソン氏が(1972年1月30年生まれ)共和党のスピーカーになる。

歴史的には56番目のスピーカーである。

さて、ピエロの両親がユタ州からサンヂエゴに来訪しました。

ひい孫がうまれたお祝い訪問が目的で、車でユタからまず我が家に4泊。

義父母は、むかしサンヂイエゴに住んでましたが、ユタ州コロラドに移転したのも長女がユタ州に住んでいるからで、何事も公平

な精神は、私の両親と同じです。だから私たち、二人はぴったり合うのでしょう。

義父母は車運転して、コロラドから我が家に4日間宿泊してから、末娘が同じ加州に住んでるので、その娘の家に3泊して、無事ユタ州に帰りました、とお父様から丁寧なお礼状とお金まで届いて、私は大恐縮してしまいました。

ピエロと私が仲良しなのも、きっと大人になった子供たちのところに遠地から会いに来る両親に恵まれたからなのでしょう。

(私の両親はすでに天に召されましたが、毎年米国に住む長女の家に3-4週間泊まってくださったっけ)

その’思い出写真’はいっぱいあり、今でもよくアルバムを眺めて、父母を忍んでおります。

今は天に召されてさみしいですが、ピエロの両親が大変げんきなのが、うれしいです。

さて、今日はサンデイエゴのリトルイタリーを紹介いたします。

まず天候が良いサンデイエゴは、アメリカ各州から訪れる人たちや外国からの訪問者が多く、一年中にぎわってます。

https://www.youtube.com/watch?v=C5V6LlR02AY

私たちは画家なので、キャンバスを買いに出かけるのも、リトルイタリーのレストランのお向かいに絵の具店があり、その日はランチをリトルイタリーのレストラン”FiliPPIで食べるのが、楽しみの一つ!

もしサンデイエゴにいらしたら、リトルイタリーのレストラン“フィッリッピ”をお試しください!おいしいですよ~!

(この記事を書いてたら、ピエロが我が家の近所にもフィリッペ店があるよ!それでさっそくランチを食べにいっちゃた~!実は今月26日が私の誕生日で、早速ピエロが行こう!(満腹して、食後ねむくなっちゃった~!)

昨晩は次女のクリスチーンが来訪して、でっかいケーキと3人の大人になった子供たちからのプレゼント持参!

もう弓ちゃんは興奮状態最高超になっちゃった~!ハハハハハ!

次女とのペチャクチャはいつものことで、話が尽きない。まずピエロが2階にのぼってグ~スカ!

次女が帰ってから時計見たら、夜中の1時半!私もバタング~! でも楽しかったな~!

ここで、ぐっすり眠れるジャズを紹介!

https://www.youtube.com/watch?v=8ohDE4Bv17k

今朝のラメサは上天気の青空ですよ!

皆さん、どうぞ風邪などひかないように、お元気でいらしてください!

チーコ

皆さん、今日は~!

今日のラメサのお天気は珍しく、曇り空。 

今朝の気温は60度で涼しくてやはり秋を感じます。

外にあるポ―チに座って、ピエロが沸かしたおいしいコーヒーをのみ終わり、

今室内にもどって10月の便りを書いてます。

まず米国トップニュースをお伝えしましょう。

ニューヨーク裁判所議長は、トランプは ”だましの罪”を犯した犯罪人と判決した。

(9/26 ワシントンポストとニューヨークタイムス他)

まるで”モノポリーのゲーム”のような高金額でオンラインのマーケットを作って不法をおこしたとして、米国17州がアマゾン会社を告訴した。(9/26 ニューヨークタイムス紙他) 

詐欺師であるトランプ氏が米国大統領になった4年間の悪夢を思い出します。

平等意識が強い米国で、それ故に大昔に、ヨーロッパからアメリカに移住した人々が、

アメリカ合衆国、略してUSA、と名付けたのです。

そのアメリカでトランプ氏は4年間、大統領になったとは!

毎日米ニュースはトランプが詐欺師であることを法的に明らかな報道をしているが、

勝利を願うあまり、たとえ犯罪者もいとわなかったモダン共和党議員方の責任は重い。嘘ばかりついて共和党派をだましたトランプ。

勝つことだけに宣念した大人げない共和党議員になり果てたが、共和党にも、国の経済と世界の平和を願う共和党の議員サンがいらっしゃいます。その方々に従う民衆も多くおります。米国の共和党が二度とこのような失態を作らぬようにしていただきたい。

米民衆は立派な共和党議員サン方に望みをかけるしかありません。

トランプを首相にした大失敗から、世界が認めるリーダーを迎える力を持つのもアメリカ民衆なのです。

米国はきっと立ち直る、と長年米国に住む私は信じてます。

さて、私事ですが、昨日、日本の旧友二人から手紙と一緒に小堤が届きました。

慶応時代のバンド仲間のカコちゃんの手紙と、成蹊高校時代の仲間ちーこの娘さんからの小堤でした。

二人とも、成蹊仲間のチーコさんが亡くなったというお知らせでした。

チーコのお嬢さんの小堤を開けたら、黒色カバーの成蹊時代の写真アルバムでした。それ以来アルバムを何度も見ながら、成蹊時代を懐かしみ、チーコの思い出にふけりました。

オーストラリア在住の成蹊生アキラ氏にもメールで伝えました。

成蹊生は卒業してからも連絡しあって仲が良い。

チーコは今、天国の仲間と一緒に、にぎやかにおしゃべりしてることでしょう。

友情あついチーコ、大昔にサンデイエゴにも来訪してくれて、ありがとう! 

ギャラリー21で個展中にも訪れて感謝します。

私はまだまだやることがいっぱいなので、すぐにはそちらに行けないけど、チーコのお嬢さんアキちゃんが送ってくださったチーコと旧友の写真帳を毎日見て活力をいただき、元気いっぱいですよ!

アキちゃんが送ってくださったアルバムのおかげ様です!

チーコ、天の仲間にどうぞよろしく、お伝えくださいね!

カコちゃん、チーコ逝去の知らせお手紙をありがとう~!カコちゃんの変わらぬ友情に感謝してます。

慶応と成蹊は仲が良くて、大昔にハワイアンバンドも一緒に演奏したっけな~!

旧友の皆さん、お互いにいつまでも元気でいましょうね!

あら!上記の写真を撮ろうとバルコニ―に出たら、青空の大天気になりましたよ!

太陽がサンサン!ありがと~!

ピエロがつくったおいしいラーメン! 先日、日本マーケットで買ったサッポロビールを彼から少しだけいただいちゃった~!